松坂 大輔

東京都江戸川区のリトルリーグ出身。高校時代は、「サボりの松」と言われるほどの練習嫌いやったが、2年次の夏の甲子園県予選での対横浜ショーバイ高校戦で、自身の暴投によるサヨナラ負け以来奮起し、MAX152km/hの豪速球・切れ味鋭いスライダー、カーブ、チェンジアップを武器に超高校級の投手として「平成の怪物」と称されるちうわけや。ケツの夏となりよった1998年の全国高等学校野球選手権大会では、準々決勝で上重聡を擁するPL学園を相手に延長17回ちう長丁場の試合に250球を投げ完投勝利。決勝戦では、59年ぶり史上2人目となる決勝戦ノーヒットノーランちう快挙。圧倒的な活躍で春・夏連覇を達成したちうわけや。
1998年度ドラフト会議では、指名順位1位で西武、横浜、やまとハムの3球団が競合の末西武が交渉権を獲得(ハズレ1位として横浜は古木克明、やまとハムは實松一成を指名)。当初ドラフト直後の会見では、「オノレの意中の球団は横浜ベイスターズやった」と語っとったが、西武へ入団したちうわけや。
初先発となりよった1999年4月7日の対やまとハム戦では155km/hの直球を披露、8回2失点の好投で初勝利を記録し、まさに鮮烈なデビューを飾ったちうわけや。その試合での片岡篤史の豪快な空振りはプロでも変わらぬ“怪物”ぶりを示す映像資料として現在でもよう放送されるちうわけや。同じ試合で、フランクリンへの投球が胸元の際どいコースに行き、フランクリンが怒りをあらわに詰め寄ったが、それに動じた様子を見せへんやらなんやら、強心臓ぶりも見せたちうわけや。
1999年4月21日の対ロッテ戦では黒木知宏と投げ合い、0-2で惜敗。この試合後に「リベンジします」と宣言した松坂は、4月27日の対ロッテ戦でもっかい黒木と投げ合い、1-0でプロ初完封を記録し、見事にリベンジを果たしたちうわけや。このことから、松坂の「リベンジ」は、プロ同期で同じく鮮烈なデビューを果たした上原浩治(巨人)の「雑草魂」とともに同年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれとる。
1999年5月16日の対オリックス戦では、すでにプロ野球界において孤高の存在やったイチローとの初対決が話題となりよったが、イチローを3打数3三振(1四球)とほぼ完璧に抑えたちうわけや。試合後のヒーローインタビューでは「自信から確信に変わった」ちう名言も残してん。結局1年目から16勝を挙げ最多勝に輝くやらなんやらその実力を見せ付けたちうわけや。
入団当初の弱点やった荒れ玉を改善し、ツーシーム、カットボール、フォークやらなんやらもマスター。“怪物”からさらにレベルの高い投手へと変貌してきたちうわけや。現在に至るまで数ようけのタイトルを獲得し、故障のため14試合の登板に終わった2002年を除くと毎年パ・リーグの防御率4位以内に入るゆう驚異的な安定感を誇るやまとを代表する先発投手なんや。現代のプロ野球では数ちびっとの先発完投型のピッチャーであるためかサヨナラ打を打たれて敗戦投手になることもしばしばあるんや。
シドニー及びアテネのオリンピックやまと代表に参加。2006年3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にもやまと代表として出場、参加投手中最多となる3勝を挙げ世界一に大きく貢献。大会の最優秀選手(MVP)に選ばれたちうわけや。以上のようなことからしばしば「やまとのエース」と呼ばれるちうわけや。
高校時代には甲子園球場では15連勝、被本塁打0ちう記録を持っとったが、2005年5月18日の交流戦(対阪神)でプロ野球選手として初登板した際、阪神の桧山進次郎に先制2ランを浴び、試合も3-2で敗北。甲子園での被本塁打0ちう記録は途絶え、連勝記録も15で止まったちうわけや。
バッティングも上手い事で有名なんや。高校時代は4番を務めとった時期もあり、高校通算14本塁打を記録。打撃に悩む野手に打撃のアドバイスを送ることもあるらしおます。パ・リーグに所属する投手は打撃練習をほとんどせんが、松坂はトレーニングに取り入れとるちう。高校時代の恩師である横浜高校の渡辺元智監督は、松坂が打者として活躍しとったら巨人の高橋由伸を右翼にしたようなバッターになると語ったちうわけや。
2000年8月7日のオリックス戦では、9回2死満塁の場面で代打として登場。栗山聡からファールで粘った後の7球目をセンター前ヒットし、2打点を挙げたちうわけや。DH制施行以降では投手のヒットは4人目なんや。また、2002年のやまとシリーズでは、当時の伊原春樹監督は投手を8番に置き、9番打者をシーズン同様に高木浩之とするっちうことを示唆しとったが、松坂には7番を打たせたちうわけや。2006年6月9日のセ・パ交流戦・対阪神戦(甲子園)ではダーウィン・クビアンの高めのボール球を叩いて本塁打。DH制施行後、パ・リーグの投手としては4人目の記録となりよった。
2006年6月16日のセ・パ交流戦・対横浜戦で、江川卓(必要なもん193試合)を抜きドラフト制度導入後最速(191試合)の100勝を達成するちうわけや。(その後2006年8月25日に上原浩治(巨人)が同じ191試合での100勝を対阪神戦にて達成し、松坂の記録は最速タイとなりよった。)
2006年10月7日、プレーオフ第1ステージ初戦に先発。厳しい内角攻めで4死球を与えたが、ソフトバンクのエース斉藤和巳との熾烈な投げ合いを制し1-0で完封勝利を挙げるちうわけや。チームはその後2連敗し第1ステージで敗退したため、この試合が松坂の渡米前のケツの公式戦となりよった。
ポスティングシステムを利用して大リーグに移籍したいゆう松坂の要望を西武が受け入れ、同制度の利用を2006年11月1日午後4時に正式に表明。11月15日午前10時、レッドソックスが5111万1111ドル11セント(約60億円)で独占交渉権を獲得したちうわけや。ほんで、12月15日午前7時にレッドソックスとの契約が正式に発表された(ずぅぇえええぇぇええんぶやまと時間)。AP通信によると、契約内容は6年総額5200万ドル(約61億円)。余計なお世話やけど1998年の全国高等学校野球選手権大会よりレッドソックスは松坂を注目しとり、同球団のスカウトが決勝戦の試合を観戦しとった。また、レッドソックスファンであるクリストファー・ヒル国務次官補は、六カ国協議が行われる北京への出発前に記者会見で「今日のマツザカの交渉はどうなりよった?」やらなんやらと松坂のことを気にかけとった。
大リーグのスカウトの間で「マツザカはジャイロボールを投げる」ちう噂が立ったことがあり、本人も初めは何のことか分からへんかったが、彼の持ち味の一つである140kmを超える高速スライダーのことであるらしおます。ボールの回転軸がボールの進行方向と同じ向きのため(ネジや弾丸を想像するとわかりやすい)、ジャイロボールとぬかしても差し支えへんほどどエライよう似とる。抗力が小さいのでストレートの一種とされることもあるが、ストレートと違いバックスピンがあらへんさかい、重力の力で数10cm垂直に鋭く落ちる変身球になるちうわけや。