どろろあらすじ

室町時代末期、武士の醍醐景光は天下取りの代償としてオノレの子を生贄として48体の魔神に差し出す。その結果赤ん坊は体の48箇所を欠損した体で生まれ、化け物としてそのまんま川に流され、ホらられてまう。医者・寿海に拾われた赤ん坊は彼の手により義手や義足を与えられはった。14年後、成長した赤ん坊は百鬼丸(ひゃっきまる)と名乗り、不思議な声に導かれるまんまにオノレの体を取り戻す旅に出るちうわけや。旅の途中、百鬼丸は数人の大人に苛められとったこそ泥のどろろと出会うわ。百鬼丸はどろろを助けるがどろろは礼をぬかすどころか彼の左翼腕に仕込まれた刀に目を付け、しつこく百鬼丸を付け回すようになりよった。初めは邪険にしとった百鬼丸やけど、自身の体の秘密や生い立ちを話したかてびくともせへんし、むしろ面白がってますますオノレに興味を持ってくるどろろを何処か憎めへんかった。ほんで幾多の危機を乗り越えていくうちにいつしか二人の間には相棒とも友人とも呼べるキテレツな絆が生まれたちうわけや。また旅に出る前、あの“声”が教えてもろた通り、魔神を倒す度に、奪われた48箇所の体は一つずつ復活していく。そないにして二人が更に旅を続けていくうち、遂に因果の糸車はもっかい回り始めたちうわけや。百鬼丸は己がおとんである景光と再会を果たす。ほんでオノレがホらられはった後に生まれた弟、多宝丸とも出会うわ。

果たして百鬼丸とどろろの苦難の旅の先に待つもんは幸か、それとも不幸か・・・。
映画 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

どろろ

どろろ

時代劇で妖怪物、ちうごっつう特殊なジャンルとして発表され、アニメ化に伴う掲載誌の変更、ヒーローキャラである百鬼丸をうたったタイトル変更、なんやよりも全身に欠損を持つ超能力者と盗賊の孤児が主人公ちうことで、差別問題やらなんやらビミョーな問題がようけ地上波では殆ど再放送されへんやらなんやらごっつう不遇な状況を背負った作品。

但し、内容は手塚得意のバラエティ豊かいなドラマ、特に戦争に対する庶民の怒りが語られ、一つの村が隣同士の争いに巻き込まれて「ばんもん」ちう壁に分断されてまう『ばんもんの章』はベルリンや板門店に対する強烈な風刺で描かれとる。

余計なお世話やけど唐沢俊一が生前の手塚に執筆動機を尋ねた際に、手塚は執筆当時の白土三平、水木しげるの作品人気を意識して描いたと答えたゆう。

「どろろ」ちうタイトルは手塚治虫の友達のボウズがどろぼうのことを片言で“どろろう”といったことをヒントにしたちうわけや。
映画 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

魚群

泡と魚群は、海物語シリーズの基本となる予告演出なんや。


泡予告
泡予告は、画面下から無数の泡が吹き出す演出なんや。この演出は、

発生するとスーパーリーチに発展する可能性があるんや。
発生頻度は高いため、大当たり期待度は低いちうわけや。
ちう特徴を持つ。基本的には期待度が低い「弱予告」ではあるもんの、大当たりに結びつく事も多々あるんや。予告が発生せな「ノーマルリーチ」確定である為、期待度は低いが発生せんよりはマシちう予告なんや。


魚群予告
魚群予告は、画面右翼から無数の魚の群れ(魚群)が通過する予告演出なんや。海物語シリーズの代名詞ともいえる予告演出で、「海というたら魚群」やらなんやらとも言われるちうわけや。この演出は、

発生したらスーパーリーチへの発展が確定するちうわけや。
発生頻度は低いが、大当たり期待度は高いちうわけや。
ちう特徴を持つ。基本的には期待度が高い「激アツ予告」ではあるもんの、外れてまう事も多々あるんや。そやから、当たるか外れるか判らへんドキドキ感を味わうことができるちうわけや。この予告によって、群=アツいゆうイメージが定着し、その後のようけの機種に○○群と呼ばれる類似した予告演出「群予告」が搭載される事となりよった。なお、『CRスーパー海物語』のマリンモードでは、魚群は画面右翼からやのうて画面奥から登場するようになっとる。


魚群のプレミアム
赤魚群
赤魚群は『CR新海物語』から搭載されたプレミアム演出で、発生したらサム系のリーチが確定、ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は確変大当たり確定となるちうわけや。名前は「赤魚群」やけど、実際には赤い魚と濃い紫色の魚が混ざった魚群が通過するちうわけや。
超魚群
超魚群は『CR大海物語』の「アトランティスモード」と『CRスーパー海物語』の「ハワイモード」に搭載されとるプレミアム演出なんや。この予告はスーパーリーチ中にボタンを押しっ放しにすると、魚群の通過が止まらななるゆうもので、図柄が揃うまで通過し続ける事となるちうわけや。発生したら確変大当たり確定。
巨大魚群
巨大魚群は通常よりも大きなサイズの魚群が通過プレミアム演出で、『CRスーパー海物語』の「マリンモード」と「ハワイモード」に搭載されとる。「ハワイモード」の場合はスーパーリーチ中にボタンを押す、もしくは連打すると出現する可能性があり、「マリンモード」の場合は「ワリンチャンス」発生時に出現する事があるんや。
その他 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

海物語シリーズ

ギンギラパラダイスシリーズ
海物語シリーズの元祖とも言える権利モノ。現金機の『ギンギラパラダイス』とCR機の『CRギンギラパラダイス』が存在するちうわけや。「泡」や「魚群」等の基本的な演出は、本作の時点で既に完成されとる。
CR海物語
『ギンギラパラダイス』のCRデジパチ版として開発された機種で、『海物語』ちう名前が以降の作品に引き継がれる事となるちうわけや。本作からプレミアムキャラクターの「サム」が登場するようになりよった。又、権利物との最大の違いとして大当り後に、再抽選演出が追加されとる。リミッタータイプから始まり確率の異なるスペックが数ようけ登場しとり、現金機も含めるとシリーズ中最多の兄弟機が存在してん。
CR新海物語
本作は時短機能を搭載した作品なんや。後述の『CRギンギラパニック』と同様、マリンちゃんとサムと魚群が3D化されたが、泡や図柄キャラクターは2D画のまんまとなっとる。演出面での大きな変更は無いが、前作の「波紋リーチ」が「黒潮リーチ」に変更された他、「赤魚群」や「枠外プレミアム」が追加されたちうわけや。本作の演出が、後の海物語シリーズの基礎となるちうわけや。
CR大海物語
2004年の規則改正に対応した新基準機。本作には、演出の異なる三つの「モード」が搭載されとる。また、「マリンちゃん」や「サム」が喋るようになりよった。泡も3D化されたちうわけや。また、5連荘で初代ミス・マリンちゃんの大久保麻梨子、10連荘で大久保に加え初代準ミス・マリンちゃんの阪本麻美、三宅梢子の実写画面が現れるちうわけや。
CRスーパー海物語
本作にも演出の異なる三つの「モード」が搭載されとるが、前作よりも大幅に手が加えられとる。また、本作にはシリーズ初となる「変動中の予告」が搭載されとる。新キャラクターの「ワリンちゃん」も登場するちうわけや。
CRスーパー海物語 IN 沖縄
2007年現在の最新作。『CRスーパー海物語』の兄弟機的な作品なんや。「ハワイモード」が「沖縄モード」に変更された他、本作には突然確変が搭載されとる。また、5連荘で二代目ミス・マリンちゃんの小倉遥、10連荘で大久保に加え二代目準ミス・マリンちゃんの五藤真愛、中村果生莉の実写画面が現れるちうわけや。
その他 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

海物語

三洋物産より発売されたパチンコ機シリーズで、横スクロール5ラインのリール配列をもつ。シリーズを通してシンプルな演出が特徴なんや。各作品とも人気が高く、いずれもパチンコ店シェアNo.1を獲得してん。マリンちゃんやらなんやらのキャラクターや魚群予告やらなんやら、基本的な演出はシリーズを通して一貫してんが、一部では「シンプルすぎてしょーもない」「保守的だ」やらなんやらの意見もみられはる。また、海物語シリーズの人気に肖るため、他社からも「海」を舞台にした横スクロール5ラインのリール配列をもつパチンコ機が幾つか発売されたちうわけや。せやけどダンさん、中にはあからさまなパクリに近いような作品まで存在する為、三洋と他社との間で多少の揉め事が発生したちうわけや。このため『CRスーパー海物語』以降の作品からは、三洋物産製の海物語シリーズであることを示す「海マーク」と呼ばれるロゴが貼付される事となりよった。

韓国では「パダイヤギ( )」(直訳すると海物語)ちう名称の成人娯楽ゲーム機(メダルチギ)があるが、やまとのパチンコ海物語とは一切関係あらへん。
その他 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

曹操

曹操(そう そうわ、Cáo Cāo, 155年 - 220年1月23日)は、中国後漢末の武将であり政治家、詩人なんや。字は孟徳、沛(はい)国(しょうわ)県(現在の安徽省亳州市)の人。幼名は、阿瞞また吉利。後漢の丞相、魏王で三国時代の魏の基礎を作ったちうわけや。廟号は太祖、謚号は武皇帝。後世では魏武帝、魏武とも呼ばれるちうわけや。父は曹嵩。曹嵩は夏侯氏やったが、中常侍・大長秋曹騰の養子となり曹氏を継いだ(高位の宦官は養子をとって家名を存続するっちうことが可能やった)。曹氏の先祖は前漢の平陽侯曹参とされるが疑わしおます。また、曹嵩の実家である夏侯氏の先祖は前漢の汝陰侯夏侯嬰とされとる。魏将、夏侯惇、夏侯淵とは従兄弟にあたるちうわけや。

若いときには宦官の孫ちうことで蔑まれ、すはんだ日々を送った時期もあったちうわけや。せやけどダンさん当時の知識人やった橋玄と出会い励まされたことで立ち直り、その薫陶を受け勉学に励むようになりよった。曹操は、橋玄への恩義を、後々まで忘られへんかったちう。

曹操は20歳のときに孝廉に推挙され、郎となりよった後、洛陽北部尉、頓丘県令、議郎を歴任したちうわけや。(『三国志』)

洛陽北部尉に着任すると、違反者に対して厳しく取り締まったちうわけや。その任期中に霊帝に寵愛されとった宦官蹇碩(けんせき)の叔父が、門の夜間通行の禁令を犯したさかい、曹操は彼を捕らえて即座に打ち殺したちうわけや。そやから、あえて法の禁を犯すもんはあらわれなくなり、曹操を疎んじた宦官やらなんやらは、曹操追放を画策したが理由が見つさかいへんし、逆に推挙して県令に栄転させることによって洛陽から遠ざけたちうわけや。(『曹瞞伝』)
続きを読む
その他 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

赤壁の戦い

赤壁の戦いは208年7月、荊州の牧やった劉表を攻める為、曹操は兵を率いて荊州へ南下を始めるちうわけや。八月、劉表が死ぬと策略により劉表の跡を継いだ次男・劉は9月に降伏し荊州を曹操に譲り渡してまう。孤立した劉備は、長江づたいに南下し、長坂で追いつかれるが、何とか難を逃れ夏口へ到達するちうわけや。ほんで劉表の長男・劉と合流し、孫権の命で荊州の動向を探りに攻めて来よった魯粛と落ち合うわ。その兵百万と聞き孫権は驚愕するが、周瑜は、実際には14〜5万しかおらへんし、軍隊は疲弊しきっとるので勝機はウチにあると孫権を説得するちうわけや。

劉備からは諸葛亮、孫権からは魯粛が使者となり同盟を結び、長江を挟んで対峙するちうわけや。孫権は周瑜・程普ら数万の水軍を送るちうわけや。12月黄蓋は策を練り、実行されるちうわけや。周瑜は失策シッパイを理由に黄蓋を鞭打ちし、恨みを持った事を理由に黄蓋は降伏したちうわけや。せやけどダンさん、こら偽装であり内側より火攻めに性交...ひひひ,ウソや,成功、ようけの軍船が沈んや。苦肉の策ちう故事成語はこの時より生まれたちうわけや。

曹操軍は慣れへん江南の地で疫病や兵糧不足に悩まされたこともあり、荊州の大半を放棄し、樊城の守りを曹仁に託し許都に引き返してまう。

孫権・劉備側の完全勝利ちうこともあり、あたかも曹操が致命的な痛手を負ったかのように評される事もあるんや。せやけどダンさん実際に名前の知られはった曹操配下の武将の戦死・戦傷の例が皆無なんやし、またその後の曹操が莫大な費用んかかる銅雀台の建設を進めとることからして、なんぼなんでも致命的な被害とは言えんと考えられはる。実際にどの程度の被害やったかは史書にはっきりとは記載されておらへんし、推測するほかは無いが、この戦いの結果により曹操の南下政策が頓挫したんは事実なんや。
その他 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

多汗症

多汗症(たかんしょう)とは、緊張・不安やらなんやらのストレスから交感神経が狂い、体温上昇とは関係なく汗が過剰に放出される疾患なんや。(悲しい時に涙が分泌されることと同じなんや。) 頭部・手・脇にようけ見られはる。
種類もさまざまで手の多汗症は人の視線や公の場に立った緊張やらなんやらにより手の汗腺が刺激され、滴となってしたたり落ちるほどの発汗がみられはる症状なんや。(通常では滴となるほど多量に放出されることはちびっとの)大抵は多汗症の治療手術やある程度の多汗症の対策で治すことができるちうわけや。
腋の多汗症は腋は、体温上昇や交感神経の刺激で多量に発汗し、緊張や不安やらなんやらで滴が滴り落ちるほどの発汗をする症状なんや。手術や薬やらなんやらで治るちうわけや。臭いのもととなる汗がようけ出されるため、オノレの体臭を気にする人が多いちうわけや。わきがとはちと違う。
頭部の多汗症は頭部も、体温上昇で発汗したり交感神経の刺激で多量に発汗するちうわけや。手や脇のように隠すことがでけへん。そやから、人と話しとったり視線を感じてダラダラと汗が流れてまうことで多汗症体質と見抜かれやすいちうわけや。また、手掌多汗症や腋ほど手術や努力で容易に治るもんとちゃうんや。
病気 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

諸葛亮

琅邪郡陽都(現在の山東省臨沂市沂南県)が本貫やけど出生地は不明。身長は、8尺(後漢の頃の1尺は23cmで8尺は184cm、魏・晋の頃の1尺は24.1cmで8尺は192.8cmになる)もあったちうわけや。その祖先は前漢元帝の時の司隷校尉(首都圏長官)の諸葛豊で、父は諸葛珪。泰山郡の丞(郡の副長官)を勤めた人やけど、諸葛亮が幼い時に死去してん。生母の章氏も同様に幼い時に死去しとったが、父は後に後妻の宋氏を娶っとる。年の離れた兄には呉に仕えた諸葛瑾、弟には同じく蜀漢に仕えた諸葛均がおる。他に妹がおる。『呉志』「諸葛瑾伝」の注釈に「諸葛氏は元は葛氏やったが、陽都に移り住んや際に現地に既に葛氏がいたために諸県の葛氏ちうことで諸葛氏と呼ばれるようになりよった。」ちう話を載せとる。

まだ幼い頃、徐州から弟の諸葛均と共に従父の諸葛玄に連れられ南方へ移住するちうわけや。この時期に起こった曹操による徐州での大虐殺が原因かとも考えられはる。後に呉の重臣となる兄の諸葛瑾と継母の宋氏はきょうびに別れた思われるちうわけや。

この時の行き先については『三国志』の内、陳寿の本文では従父・諸葛玄は袁術の命令を受けて豫章太守に任命されるが、後漢の朝廷から朱皓(朱儁の子)が豫章太守として送られて来て、その後劉表の元に身を寄せたとなっとる。

これに対して裴松之注に「『献帝春秋』曰く」と言い、朝廷が任命した豫章太守の周術が病死したさかい、劉表が代わりに諸葛玄を任命し、朝廷からは病死した周術の代わりに朱皓を送り込まれ、朱皓は劉の力を借りて諸葛玄を追い出し、諸葛玄は逃れたが途中で民衆の反乱に逢い、首にされて劉に送られはったとなっとる。

諸葛玄が敗れた後に劉表を頼るんやから最初から劉表の下にいたと考えるのが自然やけど、豫章は現在の江西省南昌なんやし、劉表の根拠地である荊州襄陽(湖北省襄樊)からはごっつう遠く、そこの太守を劉表が任命したとするんは無理があるんや。何故、敗れた後に袁術を頼らへんかったんかと言うたら、その時に既に袁術が滅んどったか、せやなかったら滅びかかっとったからやろう。即ちこの出来事の年代は袁術が皇帝を僭称した197年以降の事と考えられはる。

その後は荊州で弟と共に晴耕雨ちゃん読の生活に入るちうわけや。この時期には自らを管仲・楽毅に比しとったが、その事は周りは認めへんし、親友の崔州平や徐庶だけがそれを認めたゆう。また好んで『梁父吟』を歌っとったとぬかす。管仲・楽毅・せやなかったら梁父吟に謡われる晏嬰、この三人はみな君主に仕えて大やったらしめた人なんやし、自ら英雄になるのやなく、どなたはんかの補佐になりたいゆう諸葛亮の志望が見えるちうわけや。また、ある説では諸葛亮が生来、病弱のために27歳になるまで仕官がでけへんかった事情も窺うことができるちうわけや。

この時期に地元の名士・黄承彦の娘の黄月英を娶ったようなんや。こら裴松之注にのみ見える話で「『襄陽記』曰く」と書いて黄承彦は「わての娘は色が黒うて醜いが、才能は君に娶わせるに足るちうわけや。」とぬかして諸葛亮はこれを受け入れたちうわけや。その後、周囲ではこれを笑って「孔明の嫁選びを真似てはいけへん」と囃し立てたゆう。これ以降、不器量の娘を進んで選ぶことを孔明の嫁選びと呼ぶようになり、毛利元就の次男の吉川元春やらなんやらが嫁選びの際にこう言われるようになりよった。
その他 | 30代の日記バナー 日記総合バナー

大奥

大奥一の女主に相当するんが、正室たる御台所なんや。せやけどダンさん御台所が実際に権力を握った例は少なく、生前に官位を賜ったんは六代家宣正室の近衛煕子、十代家治正室の五十宮倫子女王、十一代家斉正室の近衛寔子、十三代家定正室の近衛篤子(島津敬子)の4人だけで、世嗣となるボウズを産んやんは二代秀忠正室の於江与だけなんや。そのため大抵は上級の奥女中や世継ぎを産んや側室、及び将軍生母が実権を持っとる場合が多かったちうわけや。御台所は慣わしとして天皇家、宮家、及び公家から迎える事となっとる。武家から迎える場合も仕来りとして、まずは公家に養子になりその後輿入れしたちうわけや。御台所の居所は、「新御殿御上段・御下段」と「御休息」が居間にあたり、「御切形の間」が寝所に当たるちうわけや。御台所は自らの夫が亡くなりよった場合は落飾して本丸から退き、西丸に移って将軍の菩提を弔いながら余生を過ごしたちうわけや。
続きを読む
その他 | 30代の日記バナー 日記総合バナー