ブログについて

ブログの始まりは、毛唐のセリフ圏のウェブにおいて、オノレが気になりよったニュースやサイトやらなんやらのURLを、寸評つきで紹介したこととされ、Blogger、Movable Typeやらなんやらのブログ用のツールの出現、イラク戦争の時には現地から更新されるブログが話題となり、その知名度を大きく引き上げる結果となりよった。

現在、より頻繁に用いられとる広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されへん話題やらなんやらのような、時系列で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称するちうわけや。こないな風なウェブサイトの作成機能を提供するソフトウェアやサービスやらなんやらを指して呼ぶ場合もあるんや。又、SNSやブログや口コミメディアを総称してCGMと呼ぶこともあるんや。続きを読む
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関西弁

同じ関西でも大阪府、大阪市、京都府、京都市、兵庫県、神戸市、姫路市、滋賀県、奈良県、和歌山県、三重県とごっつう差異があるんや。有名なもんは船場の言葉や大阪府東部の河内弁やろ。大阪中心部(船場)で丁稚として働いとった中国地方、四国地方の出身者は大阪方言をショーバイ上使う必要があった(旦那には近江あきんど出身が多いとされる)。現在では大阪を中心とした通勤圏の拡大、およびテレビの影響により、特に若い世代では、その違いが少なくなってきとる。

京阪式アクセントが優勢な地域をもって関西弁地域とするやろ、ほしたら、東は岐阜県不破郡周辺・揖斐川・伊勢湾・伊良湖水道ラインから、西は兵庫県と岡山県の県境あたりまでなんやし、南は四国方言に分類される四国島内の全域(足摺岬周辺の一部の地域を除く)、北は北陸方言に分類される富山県、および新潟県の佐渡島までなんや。この範囲を越えると東は名古屋方面、西は岡山方面の方言に大きく変身するちうわけや。(西回り航路の寄港地はみなこの言葉せやなかったらその影響を色濃く受けとるちう説もあるんや。)
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タグ:関西弁
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浮世絵の歴史など

もともと、浮世絵とは浮世を書いた絵、風俗画として登場したちうわけや。

浮世絵師には狩野派、土佐派出身の絵師が数ようけ見られはる。 こら当時、狩野派から破門された絵師が数ようけ転向したためなんやし、そのため室町時代から桃山時代の風俗画の影響が見受けられはる。

初期

明暦の大火ごろから宝暦の頃までをさす。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主なんや。
17世紀半ば以降、木版画の原図を描く者を版下絵師とええ、その中で絵本や浮世草子に挿絵を描いた菱川師宣が登場するちうわけや。また、代表作として有名な『見返りべっぴん図』は肉筆画なんや。
西鶴の『好色一代男』(1682年刊)には、12本骨の扇子に浮世絵が描かれとったとあり、これが浮世絵ちう言葉の確認出来よる最古の文献なんや。
鳥居清信の時代になると墨摺絵に筆で着色したもんが現れるちうわけや。これらは主に赤い顔料を使い着色され、丹をつこうたもんを丹絵、紅をつこうたもんを紅絵と呼んだ。さらに紅絵に色を二、三色加えたもんを紅摺絵と呼ぶ。 余談やけど、この当時から鳥居派は歌舞伎とつよ結びつき、現代でも歌舞伎の看板を手がけとる。


中期

歌麿作 江戸の花 娘浄瑠璃
写楽作 市川男女蔵錦絵が誕生した明和2年から文化3年頃をさす。
1765年(明和2年)に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになりよった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵を発明したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えたちうわけや。多色刷りが可能になりよった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられはる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられはる。越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙やらなんやらの楮を原料とした紙が用いられはった。また、経済の発展により下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要なんや。
鈴木春信の死後、人形的な絵柄から写実的なもんへと変身していったちうわけや。
安永期、北尾重政は写実的なべっぴん画で人気を博したちうわけや。役者絵にも写実さが加わり勝川春章によってブロマイド的な似顔絵が描かれたちうわけや。
さらに喜多川歌麿が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、べっぴん画の大首絵を数ようけ手がけたちうわけや。
寛政2年、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされたちうわけや。
寛政7年、禁令のため財産を没収された版元蔦屋重三郎が起死回生を狙い、東洲斎写楽が売り出されるちうわけや。独特の誇張された役者絵によって話題を呼ぶが、特徴を誇張しすぎ、人気が振るわへんかったことと、歌川豊国『役者舞台姿絵』の絶大な人気に敗退したちうわけや。
その後歌川豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である歌川派が形成されていったちうわけや。続きを読む
タグ:浮世絵
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スノーボード(スノボ)の歴史

1800年代にすでに一枚の板で雪山を滑っとったとも言われとるが、一般には1965年にアメリカ合衆国で生まれた「snurfer(スナーファー:snowとsurferの造語)」と呼ばれる雪上サーフィンの玩具やらなんやらが起原とされとる。こら、どエライ小さな合板の板に紐をつけバランスを取り真直ぐに斜面を滑り降りるだけの乗り物で、その形状やからに主にスキー場・ゲレンデ等で楽しまれとった。

その後派生する初期のスノーボードは、板の面積が大きく、降雪後に山に登り新雪をサーフィン感覚で滑り降りるもんで、スノーサーフィンと呼ばれたちうわけや。滑走面から飛び出したフィンが付いており、圧雪されたゲレンデでは上手く滑ることがでけへんかった。1970年代初め、ユタ州ソルトレイクでドミトリエ・ミロビッチによって設立されたウインタースティック社のカタログには「30cm以上の深雪が必要」と記されとる。スノーサーフィンは、その後派生するようけのスノーボードメーカーにも大きな影響を与えるちうわけや。1977年にはジェイク・バートン・カーペンターが、「バートン・スノーボード」社を設立し、1980年代中頃ゲレンデを滑る事が出来よる道具を開発するといっぺんに、大量生産の体制を築く。
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タグ:スノボ

ベビーシッター

ベビーシッターとは、おかんに成り代わって新生児の世話をする人。イギリスのビクトリア朝の裕福な家庭では、新生児の育児係の若い女の子を雇う習慣が広くいきわたり、そないな女性をナース、もしくはチャイルド・ナースと呼んだ。チャイルドがついたんは、病人の看護をするナースと区別するため。ウェット・ナース、ドライ・ナースと使い分ける場合もあるんや。ウェットが、新生児の世話をするナースなんや。おしめやミルクやらなんやら塗れたもんに触れる機会が多いため。これらのナースちう毛唐のセリフ表現は、フローレンス・ナイチンゲールが近代看護の看護学校を立て上げるよりどエライ昔から使用されとったもんで、「看護師」とそのまんまに訳してまうと誤解を招く。上記のナースは、しばしば上流階級の家庭に住み込みで働いたもんなんや。
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